ども、ナオヤです。
本当は違うと思ってるのに、その場では「そうですね」って言ってしまう。帰り道に、なんであそこで言えなかったんだろうって考える。別に嫌われたいわけじゃないし、波風を立てたところで何も変わらないし。でも、これずっと続くのかな…。
ぼくは30歳の手前くらいまで、ずっとこれでした。他人の決めたことに納得していないのに従う。そもそもその決定が合っているのか間違っているのかも考えずに、思考停止で「そうですね」と返す。
自分軸で生きるとか他人軸をやめるとか、そういう話は、人間関係で疲れている人ほど探しに行くと思います。今回は、他人軸で生きるというのが実際どういう状態なのかを、ぼくの経験から整理していきます。
他人軸で生きるのは配慮ではなく弱さです
他人軸で生きるのは、周りへの配慮でも協調性でもなく、ただの弱さです。少なくともぼくの場合はそうでした。まわりを傷つけないとか、人の役に立っているとか、そういう見え方もするので、たちが悪いです。
理由は、以下の2つです。
・自分で責任を持っていない
・自分が傷つきたくない
それぞれ整理していきます。
決めない人は失敗の責任を負わずに済みます
他人軸のいちばん大きい中身は、責任を自分で持っていないことです。
自分がその場で意思決定して、それがルールみたいになると、その方向で失敗したときの責任は全部自分に来ます。だから、責任を負いたくない気持ちがある人は、他人の案に流れます。
具体的にはこんな感じ。
・自分の案を出す→通る→うまくいかない→全部自分の責任
・人の案に「それいいですね」と乗る→うまくいかない→自分の責任ではない
ぼく自身、後者ばかりやってきました。周りからの評価としては、助けてくれるいいやつ、みたいな感じになることもあります。でも、それが自分のためになっていたかというと、まったくなっていませんでした。
ある程度の責任を自分で抱えながら、いろんなことに挑戦する経験は、たぶん代わりがききません。そこから目を背けていると、いつまで経っても自信がつかないままです。
意見を言わないのは場の空気のためではありません
もう1つが、自分が傷つきたくないという気持ちです。
責任を取る取らない以前に、そもそも人と争うのが嫌、という感覚があります。当時のぼくは、これを「場の空気を悪くするから」だと説明していました。中立でいるとか、その場を乱さないための配慮とか、そういうことにしていました。
前の職場では、こういうことがありました。
自分なりに考えた提案を上司に持っていく→「うちの会社ではそういうのは必要ないから」と言われる→絶対にこっちのほうが効果が出るし理にかなっていると思っているのに、そこで食い下がらない→会社への不満だけが残る
けど、解像度を上げて自分を見つめ直すと、そうじゃなかったです。人と意見をぶつけるのを避けてきた本当の理由は、言い争って自分が傷つきたくなかったからでした。対立すると相手も傷つくし、自分も傷つきます。それが個人的に嫌だっただけです。
配慮のつもりでいたものが、実際は自分を守る行動でした。だからこれは弱さです。
弱さから逃げ続けると自分で決められなくなります
他人軸で生きるのは楽です。ただ、ずっとそれを続けていると、どこかで破綻します。ぼく自身、破綻しました。
理由は、以下の2つです。
・自分で決めた経験がないと自信が育たない
・逃げるコストは年齢とともに上がる
それぞれ整理していきます。
自分で決めた経験がないと自信は育ちません
自分で意思決定したり、自分の責任でいろんなことをやってこないと、そのうち意思決定そのものができなくなります。決めた経験がないので、決めるための材料も基準も自分の中にないからです。
昔に書いた自分のメモを見返したら、責任を放棄していた頃の弊害を5つ挙げていました。
・人の顔色を窺って行動できない
・自分軸がなく薄っぺらい人間になる
・他責思考が身体に染み付く
・自分の成長の機会を逃す
・人間不信になる
このへんが進むと、自分には何もない感覚に陥ります。そうなると、周りの人が自分のことを悪く言っている、みたいなマインドにどんどんなっていきます。実際に言われているかどうかは関係ありません。
弱さから逃げ続けると、どんどん弱くなります。最終的には、どうしたらいいかわからない、というところまで行きます。
逃げるコストは年齢とともに上がります
もう1つが、先延ばしにするほど、あとで払うものが増えることです。
若いうちは、無茶をしても若さで許される部分があります。失敗が気軽にできる。けど、年齢を重ねると、この人この年齢なのにこんなこともわからないのか、という見られ方をします。
ぼくは会社員として10年、思考停止で同じ職場にいました。不満はずっとありました。会社を辞めるという決断も自分の意思決定でできたはずなのに、しませんでした。その環境を変えることのほうが怖くて、うつうつとしたまま10年働いたわけです。
気づいたのが30歳の手前で、正直それでも遅いくらいだと思っています。それでも、気づけたのはかなり大きかったです。気軽に失敗できる時間は、そんなに長くありません。
自分でやる側に回ると弱さと必ず向き合うことになります
いまぼくは、自分たちで生業を作る側にいます。ここに来ると、さっきの弱さと必ず向き合うことになります。
自分でやるというのは、全部自分ごとでやるということです。失敗するかもしれないことを引き受けて、それでも行動していかないと何も進みません。誰も決めてくれないし、うまくいかなかったときに責任を分けてくれる人もいません。
山元町に移住して、妻と一緒に自分たちの仕事を作っています。何を受けて何を断るか、いくらでやるか、どこに時間を使うか、全部自分たちで決めています。決めた結果がそのまま返ってくるので、逃げ場がありません。
正直に言うと、ぼくがこっちに舵を切った理由は前向きなものではなかったです。誰かの作ったシステムから逃げられない生活が、単純に苦しかった。それだけです。
弱さもひっくるめて自分自身だと認識して、少しずつ克服していかないと、誰かの作ったシステムからは出られません。
他人軸をやめるのは弱さを認めるところから始まります
他人軸で生きるのは、優しさでも協調性でもなく弱さです。中身は2つで、責任を自分で持たないことと、自分が傷つきたくないこと。それを続けていると、自分で決められない人間になっていきます。
違うと思ったのに「そうですね」と言ってしまう。あれは性格の問題ではないです。その場で自分が引き受けなかっただけです。
最近は、自分軸とか他人軸とか、正直どうでもよくなってきました。大事なのは、自分で決めて、自分の責任でやることを積み上げているかどうかだけです。その積み上げがないまま何かを始めようとすると、必ず足を引っ張られます。
弱さと向き合うと、ちょっとずつ人生が変わる気がします。
本日も、ゴリゴリやっていきましょう。


「場の空気を乱さないための配慮」と言いながら、実際は「自分が傷つきたくない・責任を背負いたくないという弱さ」だったと率直に見つめ直す分析にすごく納得しました。周りに合わせたほうがその場は楽でも、自分で選んで引き受けない限りいつまでも自信がつかないという指摘は、人の意見に流されてしまいがちな日常を振り返る強い戒めになります。